漢字が日本に伝来し広まったひとつの要因として、医学書の伝来があります。昔の医学書はすべて中国から輸入したもので、医療を志そうと思うと、漢文が読めないといけなかったのです。鍼灸や漢方薬は、漢字の伝来と深い関わりがありました。

日本における漢字の歴史

漢字が日本に伝わったのは2000年ほど前だと言われていますが、それは、漢字が書かれたものがその年代の遺跡から出土したと言うだけで、実際に使っていた事言う訳ではありません。そして、日本で最初に漢字が用いられたのは、5世紀ごろで、それは主に渡来人を使って大陸との外交に使われていたそうです。この間、政府は書記官をおいて、漢文を勉強させました。そして、実際に日本人が漢字を使い始めたのは6世紀に入ってからだそうです。日本人が文字で書いた最古の本は、聖徳太子と蘇我馬子が620年に書いた「天皇記」と「国記」と言う本だそうです。しかし、2冊とも焼失し現存していないので、実際の詳細は不明です。

さすが聖徳太子!

この頃の文章はまだ平仮名もカタカナもありません。文字は漢字だけしかありません。しかも、漢字は中国の文字なので、参考にする教材は中国語で書かれた漢文です。と言う事は、聖徳太子は恐らく大陸から渡ってきた渡来人から中国語を教えてもらい、漢文を勉強して、中国語で文章を書いたと思われます。想像して下さい、今、漢文だから漢字を想像して「なんとか読めるかな~」なんて思いがちですが、それは僕たちが漢字の素養があるからです。当時の漢字は、全く未知の文字です。そもそも日本に文字のないところから始まっていますので。現代で言うなら、全く見たことのない紋様が書かれた紙を渡された状態よりも訳が分からない状態です。そんな時代に17条憲法(604)ができました。原文は漢文でした。そして、交付された時にはある程度それが読めた人がいたから広まったのだと思います。

今でも使える万葉仮名

その後「古事記(太朝臣安萬侶 (おほのあそみやすまろ) (太安万侶)712」が編纂されますが、この頃「万葉仮名」が使われ始めたそうです。「万葉仮名」とは漢字の持っている意味とは関係なく、漢字の音や訓をかりて従来あった日本語を書き表すのに用いています。
例)
以(い)、呂(ろ)、波(は)、安(あ)、楽(ら)、女(め)、毛(け)、蟻(あり)、巻(まく)、鴨(かも)…
茜草指   武良前野逝   標野行   野守者不見哉  君之袖布流
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
暴走族の「夜露死苦(よろしく)」みたいな使い方ですね~。

始めて出来た日本固有の文字はカタカナ

時代が下って、色々な人たちが沢山文章を書き始めると、簡単に、早く日本語で書き表すことが求められて来て、万葉仮名の偏(へん)や旁(つくり)から、始めて日本にしかない文字である片仮名ができました。 片仮名は仏教徒の勉強から始まったそうです。当時、遣隋使などの影響から仏教を学ぶものが増え、師匠である高僧の教えを書きとめるのに早く書きとめる事と少ないスペースに書き込むことが求められたので、万葉仮名を暗号化した各数の少ないカタカナが生まれたそうです。ちなみに片仮名という名称についてですが、そもそも、漢字と言う言葉は後世になってできた言葉、単語です。元々漢字は「真名」と呼ばれていました。そこで片仮名は「仮の真名」もしくは、「片方の真名」と言う意味で片仮名と呼ぶ様になったそうです。

平仮名は女性が使う文字だった

これと並行して平仮名が生まれました。平仮名は、漢字を草書書きして行く過程で出来上がりました。さらに平仮名は女性のみが使っていた文字で、当時は平仮名とは呼ばずに、「女手」と呼ばれていたそうです。ちなみに、プレーボーイな男性は平仮名を上手く使い来ないしていたそうです。ラブレターを読むのは女性ですから…。 また、平仮名と言う名称はロドリゲスと言う宣教師が日本を紹介する本を書いた中で使っている単語から始めて登場するそうです。1500年代くらいなので、結構後になってから平仮名と言う名称はできたようです。

この様に、漢字が入ってきた当初は中国語の文章なので、中国語読みしていたと思われますが、だんだん漢字を万葉仮名のように、漢字の持っている音だけで読むようになり、その後次第に、漢字のもつ意味を理解し、漢字そのものに日本語の意味を当てはめ、訓読をするようになりました。 例)「山」→「さん」 ただ、漢字に訓読みを足すと、漢字の読み方がかなり複雑になり、意味を理解すればするほど新しい読みが増えて行き、それでは困ると言う事で平安時代の末に「類聚名義抄」と言う漢和辞典ができたそうです。その中で、例えば、「治療」の「治」についてみると「をさむ・はる・たもつ・ひらく・ほる」などがあり、「行」と言う字では「ゆく・やる・いでまし・あるく・さる・・・・」と、40個もの読みが付けられ、現在ではあまり使わない読み方も含まれていたそうです。 そして江戸時代では一般庶民も読み書きをするようになり、漢字は急速に広まりました。明治時代では、福澤諭吉の『学問のすすめ』から、「話し言葉」と「書き言葉」が統一され、特別な文法を知らなくても、文字さえ書ければ文章が書けるようになりました。

清須市の鍼灸院で働く若先生より